20220913 89歳の母。 圧
おはようございます、高梨弥生です。
今回は、肉親の死ということに思いを馳せたお話です。
いまそういう話には触れたくないという方はスルーしてくださいね。


母は今年で89歳になりました。
膝が悪いだけで、おかげさまで内蔵は全く病気知らずで来たのですが
さすがに、残り時間はそう長くはないよなとは思っていました。
親はいつか先に逝くということは、前から淡々と「分かっている」つもりでした。
悲しいのかな。まぁ、悲しいんだろうな。不安ではあるな。


半年ぐらい前だったか、なぜだか突然
あとどれぐらい生きててくれるだろう、あと何回母に会えるだろうと思ったとき
「母が死ぬ」という想像を、初めて現実の話として感じたのでしょうか
兄弟がいても夫がいても
お母さんがいなかったら私は一人になってしまうと感じて
(本当はそうではないはずですが)
怖くて悲しくて涙が出てしまいました。
(現実の母は、コロナ禍でも毎日スポーツジムに通って泳いでおり、元気です。)


想像しただけでこんなに悲しいのなら
本当に亡くなってしまったら、どれだけ悲しいかと怖くなってしまったのですが
同時に気づいたのは、やっと悲しいと思えるようになったんだ、ということです。
これはこれで、良き事なのではないかなと。


両親の不仲を見て育ったり
母の代わりに父とバトルをしたりしていたし(代理戦争)
母は、私の希望も不満も不安も相談も、全く聞いてくれない人だったので
私にとって、母は「頼る相手」という定義ではなく
心理的には、むしろ私が母を助け、面倒を見る側でした。


親子が逆転し、心理的に「癒着」し、離れたいのに離れられない状態だったので
尊敬の念が持てるわけもなく、鬱陶しさを感じることすらある
そんな時期が長く続いていました。


心がくっつきすぎていると、そのくっつきすぎの状態がひたすらイヤですから
相手の良い所を見る冷静さなど持てません。
助けを必要としている人に見えているということは、母を無力な人として見ていたのですが
息苦しくて、母との関係性を変えざるを得なくなって
心の距離を取れるようになった後で
私は初めて、母の人生に対する尊敬を感じることができるようになりました。
母の人生に対して、それまでと全く違う解釈ができるようになったんです。
母の弱さ、逃げだと思っていたことも
母なりの戦い方、母なりの愛情だったのだと思えるようになりました。


母の偉大さを理解できるようになり
私は母に守られてキャンキャン吠えていた子犬に過ぎなかったのだと
親子逆転がなおったからこそ
今回の、母を失うことの怖さ、悲しさ、寂しさを
感じることができるようになったんだと思うのです。


私の父は自死していますが
ながらく新興宗教に関わって問題を作っていたため
亡くなったことがちっとも悲しいとは思えず
不謹慎なのは重々承知で
「やっと終わった」「やっと死んでくれた」としか思えなかったんですよね。


後に心理学の世界に入って、父に対する許しを進めてきて
「死んでくれた」と思ってしまったことがムリもないことだと思うと同時に
そう思ってしまった自分を責める気持ちは、やはりどこかにはあって
父の愛情があったことを再発見するたびに
死を悲しんであげることができなかったことをいまだに
「おとん、ゴメンやで」と思うのです。
まぁ、こんな表現ができるぐらいには軽くなってはいます。


感情に「良い・悪い」はなくて、どんな感情もあっていいと言います。
寂しさは嫌な感情だけど、つながりを求める原動力になってくれるそうです。
悲しさの効用は何だろう?
そこに確かに愛があったことを知らせてくれるのかもしれないなと
母の死を想像して泣きながら感じました。


だから、失って(まだ想像ですが)ちゃんと悲しいと感じることができるのは
母と、あるべきつながりを取り戻すことができたからこそで
私にとっては「良き事」なのだろうと思うのです。


…イヤですけどね。
おかん、長生きしてや。





電話カウンセリング・面談カウンセリングのご予約を承っています
電話・面談ともにZoomを使ってご利用いただくこともできます


初回の方は45分の電話カウンセリングを無料で1回お試しいただけます
どうぞご利用ください


2回目以降のご利用はこちらをごらん下さい>>カウンセリングメニュー


カウンセリング予約センター>>詳しくはこちら
   06-6190-5131
   12:00~20:30
   月曜・最終日曜 定休

スケジュールは上部メニューバーからご覧ください


カウンセリング予約センター
06-6190-5131

営業時間:12:00~20:30
月曜定休
祝日の場合は翌日代休
月の最終日曜定休